灰田勝彦
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灰田 勝彦 | |
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出生名 | 灰田 稔勝 |
別名 | ハイカツ |
生誕 | 1911年8月20日 |
出身地 | アメリカ合衆国ハワイホノルル |
死没 | 1982年10月26日(満71歳没) |
学歴 | 立教大学 |
ジャンル | ハワイアン・流行歌 |
職業 | 歌手・ウクレレ奏者・作曲家・俳優 |
活動期間 | 1936年 - 1982年 |
レーベル | ビクター |
灰田 勝彦(はいだ かつひこ、1911年(明治44年)8月20日 - 1982年(昭和57年)10月26日)は、ハワイ出身のヨーデル歌手である。兄に作曲家でスチールギター奏者の灰田晴彦(のちに有紀彦に改名)がいる。
略歴[編集]
1936年に立教大学を卒業し、「ハワイのセレナーデ」でデビューした。主なデビュー曲は、アルプスの牧場で、ヨーデル歌手でデビューした。
1982年10月26日に肝臓ガンで死亡した。葬儀にはいろいろな著名人が顔を出した。
代表曲[編集]
曲名 | 発売年 | 作詞 | 作曲 | レーベル | 備考 |
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浅草ブルース | 1934年 (昭和9年) |
サトウ・ハチロー | 紙恭輔 | ポリドール | レコード初吹込み 藤田稔・名義 |
ハワイのセレナーデ | 1936年 (昭和11年) |
佐伯孝夫 | 灰田晴彦 | ビクター | 事実上のデビュー盤 |
ブルー・ムーン | 1936年 (昭和11年) |
永田哲夫(訳詞) | L.Hart R.Rogers |
ビクター | 原曲は、"Blue Moon" |
青い小径 | 1937年 (昭和12年) |
永田哲夫(訳詞) | Johnny Noble | ビクター | 原曲は、"In a Royal Hawaiian Hotel" |
雨の酒場 | 1937年 (昭和12年) |
佐伯孝夫 | 佐々木俊一 | ビクター | |
真赤な封筒 | 1937年 (昭和12年) |
永田哲夫(訳詞) | ティルザー | ビクター | 原曲は、"Oh By Jingo" |
アロハ・オエ | 1937年 (昭和12年) |
佐伯孝夫 | 佐々木俊一 | ビクター | 原曲は、"Aloha oe" |
あゝ東京は夜もすがら | 1937年 (昭和12年) |
佐伯孝夫 | 三宅幹夫 | ビクター | 小林千代子とのデュエット |
愛国行進曲 | 1937年 (昭和12年) |
森川幸雄 | 瀬戸口藤吉 | ビクター | 四家文子、徳山璉、中村淑子との合唱 |
いとしの青馬よ | 1938年 (昭和13年) |
梅原しげる(訳詞) | B.Hill | ビクター | 原曲は、"Empty Saddles" |
かちどきの歌 | 1938年 (昭和13年) |
大岡惇 | 佐々木俊一 | ビクター | 波岡惣一郎との合唱 |
皇軍大捷の歌 | 1938年 (昭和13年) |
福田米三郎 | 堀内敬三 | ビクター | 徳山璉、波岡惣一郎との合唱 |
北京夜曲 | 1939年 (昭和14年) |
若杉雄三郎 | 山田栄一 | ビクター | |
興亜行進曲 | 1940年 (昭和15年) |
今沢ふきこ | 福井文彦 | ビクター | 波岡惣一郎、藤原亮子、水原美也子との合唱 |
燦めく星座 | 1940年 (昭和15年) |
佐伯孝夫 | 佐々木俊一 | ビクター | 南旺(東宝)映画『秀子の応援団長』主題歌 |
峠の我が家 | 1940年 (昭和15年) |
佐伯孝夫(訳詞) | アメリカ民謡 | ビクター | |
こりゃさの音頭 | 1940年 (昭和15年) |
灰田晴彦 | 灰田晴彦 | ビクター | |
お玉杓子は蛙の子 | 1940年 (昭和15年) |
永田哲夫 東辰三 |
ハワイ民謡 | ビクター | 原曲はハワイ民謡 "Na Moku 'Eha" 2002年まで今川一彦と東辰三の作詞と誤って著作権登録されていた[1] |
森の小径 | 1940年 (昭和15年) |
佐伯孝夫 | 灰田晴彦 | ビクター | |
ジャワのマンゴ売り | 1942年 (昭和17年) |
門田ゆたか | 佐野鋤 | ビクター | 大谷冽子とのデュエット |
マニラの街角で | 1942年 (昭和17年) |
佐伯孝夫 | 清水保雄 | ビクター | 歌上艶子とのデュエット |
新雪 | 1942年 (昭和17年) |
佐伯孝夫 | 佐々木俊一 | ビクター | 大映映画『新雪』主題歌 |
鈴懸の径 | 1942年 (昭和17年) |
佐伯孝夫 | 灰田晴彦 | ビクター | |
空の神兵 | 1942年 (昭和17年) |
梅木三郎 | 高木東六 | ビクター | 大谷冽子とのデュエット |
バタビアの夜は更けて | 1943年 (昭和18年) |
佐伯孝夫 | 清水保雄 | ビクター | |
美しき編隊 | 1943年 (昭和18年) |
門田ゆたか | 灰田晴彦 | ビクター | |
加藤部隊歌 (加藤隼戦闘隊) |
1943年 (昭和18年) |
田中林平 | 岡野正幸 原田喜一 森屋五郎 |
ビクター | |
ラバウル海軍航空隊 | 1943年 (昭和18年) |
佐伯孝夫 | 古関裕而 | ビクター | |
紫のタンゴ | 1947年 (昭和22年) |
佐伯孝夫 | 飯田信夫 | ビクター | |
あの日あの時 | 1947年 (昭和22年) |
上山雅輔 | 灰田晴彦 | ビクター | |
東京よさようなら | 1947年 (昭和22年) |
佐々木俊一 | 佐々木俊一 | ビクター | |
東京の屋根の下 | 1949年 (昭和24年) |
佐伯孝夫 | 服部良一 | ビクター | |
わが夢わが歌 | 1949年 (昭和24年) |
佐伯孝夫 | 服部良一 | ビクター | 新東宝映画『銀座カンカン娘』主題歌 |
アルプスの牧場 | 1951年 (昭和26年) |
佐伯孝夫 | 佐々木俊一 | ビクター | |
水色のスーツケース | 1951年 (昭和26年) |
井田誠一 | 利根一郎 | ビクター | |
野球小僧 | 1951年 (昭和26年) |
佐伯孝夫 | 佐々木俊一 | ビクター | |
わが青春は夢に似て | 1951年 (昭和26年) |
佐伯孝夫 | 佐々木俊一 | ビクター | |
恋人 | 1951年 (昭和26年) |
佐伯孝夫 | 服部正 | ビクター | 久慈あさみとのデュエット、新東宝映画『恋人』主題歌 |
恋は銀座の柳から | 1952年 (昭和27年) |
佐伯孝夫 | 佐々木俊一 | ビクター | 市丸とのデュエット |
ボクはアマチュア・カメラマン | 1952年 (昭和27年) |
三木鶏郎 | 三木鶏郎 | ビクター | 日本初のコマーシャルソング |
新橋駅でさようなら | 1953年 (昭和28年) |
紫かずま | 佐々木俊一 | ビクター | |
ハイヌーン | 1953年 (昭和28年) |
井田誠一(訳詞) | Dimitri Tiomkin | ビクター |
NHK紅白歌合戦出場歴[編集]
年度/放送回 | 放送日 | 会場 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 | 備号 |
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1952年(昭和27年)/第2回 | 1月3日 | NHK東京放送会館第1スタジオ | 初 | アルプスの牧場 | 10/12 | 二葉あき子 | |
1953年(昭和28年)/第3回 | 1月2日 | 2 | 野球小僧 | 12/12 | 笠置シヅ子(1) | 白組トリ(1) | |
1953年(昭和28年)/第4回 | 12月31日 | 日本劇場(日劇) | 3 | 東京の屋根の下 | 06/17 | 笠置シヅ子(2) | |
1956年(昭和31年)/第7回 | 東京宝塚劇場 | 4 | 白銀の山小舎で | 25/25 | 笠置シヅ子(3) | 白組トリ(2) | |
1957年(昭和32年)/第8回 | 5 | 野球小僧 | 23/25 | 越路吹雪 | |||
1959年(昭和34年)/第10回 | 6 | 僕は野球の選手 | 19/25 | 淡谷のり子 |
脚注[編集]
- ↑ 「お玉杓子は蛙の子」はハワイアン音楽です。(世田谷第2回「ハワイアン・カフェ」)、MATTの「ハワイアン・パラダイス」、2004年4月17日。
外部リンク[編集]
- 灰田 勝彦 - ビクターエンタテインメント公式サイト
- 灰田 勝彦 - 日本映画データベース
- 灰田勝彦 - NHK人物録