澤田斧吉
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澤田 斧吉(さわだ おのきち、1866年5月22日(慶応2年4月8日) - 1913年(大正2年)11月4日)は、三河国碧海郡出身の村会議員。
経歴[編集]
1866年5月22日(慶応2年4月8日)、三河国碧海郡今岡村(現在の愛知県刈谷市)字新町16番地に生まれた。1894年(明治27年)7月に日清戦争が起こると、同年8月20日に日本国陸軍後備兵として出動し、同年10月から1895年(明治28年)2月まで伊勢神宮の守備を務めた。1904年(明治37年)2月に日露戦争が起こると、1905年(明治38年)1月8日に出征し、1月末日から旅順港の守備を務めて武勲があった。勲八等瑞宝章並びに恩賞金70円を賜った。同年11月3日まで任務を行い、11月13日に凱旋した。1913年(大正2年)11月4日に49歳で死去した。
公職[編集]
- 1894年(明治27年)~ - 逢見村土木委員(6年間)
- 1897年(明治30年)~ - 逢見村会議員(8年間)
- 1906年(明治39年)~ - 富士松村常設委員・逢見東区長代理
参考文献[編集]
- 宇野太一『郷土資料人物篇』富士松村、1933年、p.49
- 2007年に富士松の歴史と自然を学ぶ会によって復刻