池田 和泉(いけだ いずみ、? - 天正7年11月19日(1579年12月7日))は、戦国時代の武将。荒木村重の家臣。
摂津の池田氏の一族とされる。荒木村重の家臣で、村重が織田信長に対して反乱を起こした際にはその謀反に参加する。しかし信長の攻勢の前に勝敗が明らかとなり、有岡城から逃げ出した村重を説得するために荒木久左衛門らが尼崎城に赴く間、有岡城に残された諸将の女房らの警固を務めるも、尼崎から村重、久左衛門らの返事が届かないことに絶望し、鉄砲自殺をしたという[1]。