江戸っ子
江戸っ子とは、東京文化にどっぷり浸かっている人々のことをいう。「三代住まなきゃ江戸っ子たぁ言わねぇ」というのはフィクション(時代劇や落語)の世界の話である。
大阪人には「江戸者」と蔑まれ、京都人には「田舎者」と馬鹿にされる。「ガーガーうるさい」というので、「東」の枕詞は「とりがなく」である。
概要[編集]
しょせん田舎者の集まりなので、「信用第一」である。そのため現金を持たない(宵越しの金を持たない)キャッシュレス社会が三百年くらい続いていたため、期末には大福帳(通帳)を持った掛取りが家を回って清算していた。
大体威勢がよくて気風がよい。なにせ世界最大クラス大都市なので「時は金なり」である。しかも武士が多く、地元から転勤したきた武士も多かったため、食い物もままならない。
結果としてファストフードが発達し、寿司や天ぷらの屋台が多かった。
「差し当たって今に該当する人物はというとヤンキーの生態である。」といった意見もあるが、相続の目がないと居場所がなく、「朝顔」とか「万年青」とかの栽培や鈴虫の繁殖などを副業としていた。
武士は「三両一人扶持」の貧乏侍も多く、「煮売り」などの総菜屋にも世話になっているため、いちおう恰好をつけるために町人に対しては腰が低かったという。時に勘違いしたいちびりもいたかもしれないが、なにしろ共棲関係関係なのでほぼ対等関係であった。大久保彦左衛門と一心太助がその代表例である。
方言[編集]
「東京の人間は標準語を話しているから、方言なんかないだろう」と思ったら大間違いである。「“わあぷろ”なんて大(てぇ)したこたぁねぇなあ。“あさししんぶん”(朝日新聞)が出ねぇんだもん」というのは日本語処理に関わる人間は苦笑と反省の材料である。「鮭(シャケ)」「蠅帳(はいちょう)」「羊(しつじ)」あたりは辞書登録しておけば済むだけの話でしかない。「棟梁(とうりゅう)」「道了尊(どうりゅうさん)」ほか、数多くある。「小指」を「こいび」というのはもはや全国区で、小指を立てて「コレ」といえばほぼ日本中で通用する。
強調助詞の「ね」「さ」「よ」を多く使うのも東京弁のひとつである。「だからねぇ、あたしもさぁ、困っちゃうのよね?」とか課長が電話で話しているのを聞いた新人が、「Kさんって、オカマなんですか?」と真顔で訊いてきて、「あぁ、あのひと生まれも育ちも日本橋だから」という実話がある。
ちなみに「秋葉原」は「あきばっぱら」。「東京には方言なんてない!」と熱弁していた同僚に「じゃあ、“しおひがり”って言ってみな」と言ったら、数秒沈黙して「しおしがり!」と言ってしばらく落ち込んでいた。正しい江戸弁では「ひよしがり」である。