水口胤平

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

水口 胤平(みずぐち たねひら、文政12年(1829年) - 明治22年(1889年))は、日本政治家内閣総理大臣であった濱口雄幸実父[1]

略歴[編集]

水口家は代々、土佐藩の御山方を務める長岡郡五台山村唐谷(現在の高知市)の郷士だったといわれる[1]。胤平は同郡の素封家である水口繫子結婚し、長男の水口義晴、次男の青木義正、3男の雄幸の3男に恵まれた。

なお、胤平は明治維新後、山林官や村長などに就任して地方政治に参画している。明治22年(1889年)に60歳で死去した[1]

脚注[編集]

  1. a b c 『「家計図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣(昭和・平成編)』(2017年7月。実業之日本社、23頁

参考文献[編集]

  • 『「家計図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣(昭和・平成編)』(2017年7月。実業之日本社)ISBN 978-4408337180。