水口 義晴(みずぐち よしはる、安政元年(1854年) - 昭和5年(1930年))は、日本の男性。内閣総理大臣・海軍大将であった濱口雄幸の長兄[1]。
父は土佐藩の郷士・水口胤平で長男。母は西山馬七の娘・水口繁子。同母の弟に青木義正、濱口雄幸がいる。
幼名は定吉。小学校の職員となった後、高知県庁に奉職し、煙草専売局書記になっている。昭和5年(1930年)に76歳で死去[1]。