毛利元就記
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概要[編集]
著者・成立年代[編集]
著者・成立年代不明。著者は題名の通り、毛利元就に対するバイアスが半端ないため、毛利氏の関係者だと思うのだが、この中では宍戸隆家に関する記述が特に目立つため、もしかすると宍戸氏の関係者の可能性がある。成立年代に関しては江戸時代前期だと思われる。
別称は『元就公記』(もとなりこうき)、『毛利元就伝』(もうりもとなりでん)。
内容[編集]
全1巻。題名の通り、毛利元就の1代記で、冒頭には元就までの先祖についての事績が語られている。元就に対するバイアスが半端なく、大寧寺の変で大内義隆が討たれた後、陶隆房により大内義長が新たな当主に迎えられたが、その義長が「陶が又逆心して義長を傷害し、大内の領悉を奪って山口に居住した」とあり、義長を討ったのは元就ではなく陶となっている。陶については「無道悪逆」「悪逆の罰にあたりけん」と評されている。
元就が死んだ後、嫡孫の輝元が家督を継承。毛利氏に都合が悪いためか、関ヶ原の戦いやその後の周防国・長門国への減封などは一切述べられていない。宍戸隆家に対する事績が詳細に書かれていたり、陶を油断させるために元就が仮病を装ったり、元就の没年齢に73歳説があること、毛利隆元は和智氏に毒殺されたこと、熊谷信直は熊谷直実の直系子孫であることなどが語られている。
この手の本では珍しいくらい、年号や日付の記入が乏しい。元就の死去など確認できるのはわずか8か所である。