毌丘 秀(かんきゅう しゅう、生没年不詳)は、中国の三国時代の魏・呉の武将。兄は毌丘倹。甥に毌丘甸・毌丘宗。
毌丘倹の末弟で、255年に毌丘倹・文欽の乱で兄に協力するが、文欽が司馬師に敗れると兄と共に項城を放棄して逃亡する[1]。しかし逃亡の間に将兵に見捨てられて残ったのは兄と毌丘重だけとなり、慎県まで逃げ延びたときに水辺の草叢に隠れた[1]。この際に兄は殺害されたが、毌丘秀と毌丘重のみは追討を免れて呉に逃亡した[1]。
『三国志演義』には登場しない。