毌丘 甸(かんきゅう でん、? - 255年)は、中国の三国時代の魏の武将。字は子邦(しほう)[1]。父は毌丘倹。弟に毌丘宗。叔父に毌丘秀。
治書侍御史となり洛陽で名声を得るが、254年に曹芳が司馬師によって廃されると父に対して「国家の危機に落ち着いてはいけません」と進言したので司馬師に憎まれた[1]。翌年の毌丘倹・文欽の乱では進言しておきながら反乱には加わらず、密かに家族を連れて新安霊山の山上まで逃亡したが、司馬師の追討を受けて三族皆殺しにされた[1]。
『三国志演義』では第110回で父に反乱を促す場面において登場している。