武田楠雄
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武田 楠雄(たけだ くすお、1909年12月5日 - 1967年6月4日[1] )は、数学者、数学史家[2]。
茨城県水戸市生まれ[3]。1933年京都帝国大学理学部数学科卒。1940年旧制旅順高等学校教授。1944年満鉄鉄道技術研究所研究員。1947年日本大学工学部講師。1953年工学院大学教授。1967年心筋梗塞で急逝[1]。
数学者で科学史家の小倉金之助の影響で明代および明治維新期に興味を持ち[1]、1951年頃より中国数学を研究[2]。明代の民間数学を中心に研究した[1]。著書『維新と科学』は小倉への私信として執筆され、私家版として少部数が刊行されたもので、没後に岩波新書から再刊された[4]。工学者の武田邦彦は息子[5]。
著書[編集]
- 『維新と科学』(小山書店、1965年/岩波新書、1972年)
- 翻訳
- ジョン・ペリー『技術者のための微分積分学』(訳編、森北出版、1959年)