武田 信房(たけだ のぶふさ、? ‐ 天正19年(1591年)2月)は、戦国時代の武将。常陸武田氏の最後の当主。受領名は淡路守。
南北朝時代に甲斐国の武田信久が常陸国行方郡高家郷に入り、その子孫が常陸武田家となった。信房は常陸南方館と呼ばれていた。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉から常陸における所領安堵を受けたものの、翌年2月に佐竹義宣によって誘殺されてしまい、これによって常陸武田家は滅亡した。