梅村 (館氏)
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梅村(うめむら、生没年不詳)は、江戸時代後期の女性。江戸城大奥の中臈[1]。
生涯[編集]
父は館則虎で、一族の江戸城西の丸切手御門番頭の館羽隆の養女となった。最初は徳川宗武の娘で松平定信の妹・種姫に仕えた。後に江戸城西の丸御中臈になった[1]。
寛政3年(1791年)、召使のころを雇い、当時イケメンで知られた僧侶の日潤に帰依していたが、そのころが日潤と密通した罪により、享和3年(1803年)5月26日に寺社奉行の脇坂安董によって延命院の手入れが行なわれ、結果として7月29日に日潤をはじめとして関係者が処分される延命院事件にまで発展した。この事件でころは処刑あるいは女性であるがゆえに出家したことで助命されたといわれるが、ころを雇っていた梅村にも責任が追及され、連座処分により永の押し込め処分にされたといわれている[1]。