ころ (大奥女中)

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ころ安永8年(1779年) - 享和3年(1803年?))は、江戸時代後期の女性江戸城大奥で下級の女中を務めた。

生涯[編集]

元の名はお梅(おうめ)という。江戸幕府第11代征夷大将軍徳川家斉の西の丸御年寄として仕えた梅村の部屋子で、父は霊巌島の小間物屋だった三河屋喜兵衛という。

兄が梅村の実家に出入りしていたことから、13歳の時に梅村の部屋子に取り立てられた。江戸の延命院僧侶日潤に帰依し、参詣を理由にして大奥をたびたび抜け出して日潤と男女の関係になり、遂には妊娠までしてしまった。そして、享和3年(1803年)に寺社奉行脇坂安董の手によって一大スキャンダルとして摘発され(延命院事件)、ころは日潤と共に処刑されたといわれる。ただ、一説に女性であるゆえに出家することで助命されたともいわれる。