桑原茂一
ナビゲーションに移動
検索に移動
桑原 茂一(くわはら もいち、1950年12月9日‐)は、日本の仕掛人である。岡山県出身。
略歴[編集]
『ローリング・ストーン・ジャパン』の編集に始まり、『スネークマン・ショウ』を仕掛けたりしている。1977年のパンクムーブメントに衝撃を受け、立花ハジメと知り合い原宿の「モンクベリーズ(シネマクラブ)」でプラスチックスの中西俊夫とも巡り合った。
『スネークマン・ショウ』ではいかにして小林克也を売り出すか考えていたという。ところが、言えない事情でラジオのスネークマン・ショウは潰される。
シャネルズやプラスティクス、メロンなどのアーティストの売り出しを手掛ける。
1983年にはお店のプロデュースに乗り出し、原宿に『ピテカントロプス・エレクトス』をオープンする。同店は日本のミュージシャン活躍の場でもある。キャバレー・ヴォルテールを目指しているという。
その後、竹中直人や中村ゆうじと「ドラマンス」をやり、パリに7年間いた日本人のグループ「パリス」をデビューさせた。
余談[編集]
『楽しいテレビ』でも実験を重ねる時間的余裕はなかったという。モンティパイソンが理想だと語る。
岡山出身で中学三年の頃上京する。『シャボン玉ホリデー』が好きでよく真似をしていた。中学のお別れ会にはギャグと音楽の詰まったテープをかけていた。自宅ではジャニーズが雑魚寝している環境だった。自宅がスナックだったので日芸の学生を集めてDJをさせていた。