桂 与一(かつら よいち、明治15年(1882年)5月1日 - 大正2年(1913年)6月16日)は、明治時代から大正時代にかけての実業家。
内閣総理大臣・桂太郎の長男。母は3番目の妻だった桂歌子。名は與一とも表記される。
東京帝国大学工科を卒業後、大阪の藤田組専務となる。長男であることから父親の家督相続並びに爵位の継承が約束されていたが、奇しくも父が死去するわずか4か月前の大正2年(1913年)6月16日に東京の日本赤十字病院で死去した。31歳没。
父の桂太郎は同年の10月10日に死去して、その家督と爵位は与一の長男である桂廣太郎が継承した。