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柿元雅章
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柿元 雅章 かきもと まさあき | |
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生年月日 | 1974年11月24日 |
生誕地 |
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出身校 | 鹿児島県立鹿児島西高等学校、大阪医科大学(中退)、中央福祉学院 |
職業 | 起業家、慈善活動家 |
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柿元 雅章(かきもと まさあき)は、日本の経営者である[1]。
概要[編集]
- 青年期、"成績不振と進級未履修"により、悩み鬱屈した状態の中で生き辛さを感じ、一定期間苦しんだ。「いつか自分と同じような想いをする人が増えたらやるせない。精神(メンタル)疾患を患う人の支えになりたい」と当時の心境を語った。
- 2003年、精神障害者(精神分裂病/当時の表現)等の人々を対象に、就業援助を行い仕事を提供することで、精神障害者の方が収入を得る社会構築企業を発案した。
- 2005年、障害者の自立支援を目的に、精神疾患を患う人たちと共に農林業(有機農園)を取り組み、障害者へ賃金を支払う(現在の就労継続支援B型)事業を、いち早く手掛けた。
- 2006年、社会起業家となりすでに、精神障害者と農林業(有機農園)を取り組んでおり、社会問題や課題を解決していく中、就労継続支援B型が施行。
- 柿元は「これで、広く多くの障害を持つ人が助かる」自分が進んできた道が評価されたようで、とても嬉しかったと当時の心境を語った。
- 2007年、「自分の人生を誰かのために使おう」という想いから、私財を投じ、特定非営利活動法人Mariaを設立。屋号は、聖母マリアを由来としたもの。
- 柿元は、 精神疾患(統合失調症など)を伴った方々が、現代社会のように受け入れられなかった時代に、障害者施設を設立した。 精神障害者が、自立した生活が送れるようになることが今後必要だと思い支援を行なっているという。
- 主に自立支援や精神福祉を中心とした事業を、20年以上行い、様々な社会問題への取り組みを展開し、多様なバックグラウンドを持つ人材と共に取り組んでおり、 柿元が行う事業は、短くしているが全て成功している。
- 2009年、かつての農林業を活かし、子どもと障害者が一緒になって行う「子ども農園」を開園した。
- 柿元は、有機無農薬にこだわり、どんこ椎茸やブルーベリー、季節の野菜を生産し、収穫の時期には地域のスーパーで販売。評判が良く大人気だった。
- また、放課後等デイサービスは、当NPO法人の小学生までの児童を対象とした夜間(放課後)預かり事業が参考になっている。[2]
- 柿元は、著名人ともつながりがあり、今までの経験を買われ、友人や家族のことで相談を受ける。その中で一番多いのが、成績と進学という。
- 柿元自身も経験しており、時期が来たら「生きていく方法なんて100通りだってある。1つの学校だけが人生ではない」ことを1人でも多くのこどもや若者に伝えていきたいと語る。
- 2011年、偶然、「こころフォト~忘れない~」(鈴木京香さんナレーション)で、平塚さんの内容が流れ、強く心を打たれた柿元は、死と別れ について考えるようになり、この頃より、死生学を学ぶ。
- 2018年からは、病院業の運営に尽力。 病院業の集客戦略の策定を行い、医療機関への集患支援は、全国の医療機関から問い合わせが寄せられた。
- 柿元は、菅原文太氏とNPOの自然環境での農林業(有機農業)を通じて親交があり、敬愛している。
人物[編集]
- 1974年生まれ
- 4歳の時に空手(武徳会)を習い始め小学生では、県大会優勝の成績を収めた。中学3年で、少年段位2段を取得している。
- 同級生は、学生時代から自分より他人を優先に考え人格が優れていたといい、誰も思いつかない事を思いつく人と証言している。
- 成績不振で医学の道を断念し、1年間は何もできなかったが、身内の会社で働くことになり、掘り子さんとの出会いが柿元の人生を変えたという。
- 当時、柿元は"掘り子さん"に「葛(クズ)と自然薯の掘り場探しから根掘り、どんこ椎茸の栽培」を伝授されたことをきっかけに、重機の免許を取得。自然環境を第一に考え、有機農業・根掘り場の拡大・販路まで行い、伝授から2年後、農林業の個人会社を設立するまでになったとのこと。
- 2005年、すでに経営のスキルを身につけていた柿元は、祖父が幼稚園を経営しており、卒園した小学生の家族から学童保育延長の必要性を頻繁に聞いていおり、世の中での未知の世界に挑戦することを決めたという。
- 2006年、現代社会には当たり前のようにある障害者福祉事業や児童預かり事業が当時はなかったため、長年何度も取材のオファーがありながらも、気を使うリスクが増えるため断っていたという。
- 経営者になってから「どんな問題が起こってもすべてに"ありがとう"と言ってみる」という言葉を指針にしている。
- 自分の人生と共に社会の課題に取り組んできた柿元だったが、事業承継後の近年、友人の自死に遭遇する。柿元にとって、受け入れ難い現実だった。何も出来なかった自分を悔やみ、「私利私欲のためではなく、自殺を考えている人の命を全うさせるため」 活動を行っている。
活動内容[編集]
- 養育支援: 小学生までの夜間・放課後一時預かり事業を経営。優秀な人材を抜擢し、現在の放課後等ディサービスへの礎となる活動を行なってきた。[2]
- 交通支援: 柿元の行う過疎化地域への交通支援システムは、日本で唯一の最新動向に精通しており、専門知識を活かして顧客に付加価値を提供している[3]
- コンサル業:柿元が得意とする経営マネジメントは、福祉事業への独立支援実績が豊富であり、評判が良く評価が高い。
- 講師活動:社会的課題(交通弱者支援、自殺予防)を中心に、出張講演・セミナー依頼を受け、様々な場面で声がかかる。
- 女性相談 : 家族介護相談やシニア世代を対象者限定としたメンタルヘルス事業を行なっており、病院との共同活動も展開している。
- 慈善活動:普段、意識しにくい「自殺」について、誰もが参加しやすいSNSという手段を活用し、若年層の自殺願望者がコミニュニティの重要性を意識し、突発的な自殺者が減少するプログラムを考案。現代社会での、強い悩みや生活苦などのメンタルへルス不調の相談を可能な範囲で伺い、対処法の提示や解決策を無償で提供している。
脚注[編集]
出典[編集]
- ↑ “特定非営利活動法人 Maria紹介ページ”. activo(アクティボ). 2025年1月14日確認。
- ↑ 以下の位置に戻る: a b “第3回 天孫降臨霧島祭”. {{subst:CURRENTYEAR}}-{{subst:CURRENTMONTH}}-{{subst:CURRENTDAY2}}確認。
- ↑ “[高齢者交通支援センター - CANPAN団体情報]” (日本語). CANPAN FIELDS. 2025年2月9日確認。