杜 摯(と し、生没年不詳[1])は、中国の三国時代の魏の武将。字は徳魯(とくろ)[1]。
司隷河東郡聞喜県の出身[1]。蘇林・韋誕・夏侯恵・孫該と並んで文章や賦で世に知られた人物と言われる[1]。
杜摯は最初は「茄の賦」を献上して司徒軍謀祭酒に任命される[1]。後に孝廉に推挙されて郎中に任命され、校書郎に任命される[1]。毌丘倹と同郷で親しかったので、詩を送って仙人の薬1粒を求めたが、これは古の人物を挙げて自分を推挙して欲しいと頼んだもので、毌丘倹もそれを見抜いて拒否する意味の詩を返書したため、昇進はかなわないまま秘書の官で生涯を終えた[1]。
『三国志演義』には登場しない[1]。