孫 該(そん がい、? - 261年[1])は、中国の三国時代の魏の武将。字は公達(こうたつ)[1]。
兗州任城郡の出身[1]。蘇林・韋誕・夏侯恵・杜摯と並んで文章や賦で世に知られた人物と言われる[1]。
孫該は学問を好み、記憶力に優れていた(『文章叙録』)。20歳で上計掾となり、後に中央に招聘されて郎中に任命される[1]。『魏書』(陳寿の著作とは別の史書)を著わし、官職も博士・司徒右長史と進み、最後は著作郎となるが、261年に在官のまま死去した[1]。
『三国志演義』には登場しない[1]。