杜 先(と せん、?(生年月日不詳) - 天鳳4年(17年)8月)は、中国の新王朝時代の海西県の県宰・政治家[1]。
天鳳元年(14年)に自分が治める県の豪族である呂母の息子・呂育[2]が女性に手を出したのに激怒し、呂育を逮捕してスピード処刑を行なった。さらに呂母を逮捕して呂家を潰そうとしたが、呂母は息子を殺した杜先を恨み、徐次子と共に海賊になって海西県など山東半島で暴れまわり、杜先は取り締まることができなかった。
天鳳4年(17年)8月、海賊として強大化した呂母に県を襲われ、捕らえられて斬首された。
- ↑ 県宰とは前漢時代の県令のこと。王莽により改名されていた。
- ↑ 呂母とは歴史用語で、彼女の正式な名前はわかっていない。