村雲日栄

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村雲 日栄(むらくもにちえい、安政2年2月17日1855年4月3日) - 大正9年(1920年3月22日)は、江戸時代末期(幕末)から大正時代日蓮宗尼僧村雲御所瑞龍寺10世門跡。号は瑞法光院。伏見宮邦家親王の第8皇女九条尚忠猶子。墓所は京都市左京区岡崎善正寺

文久2年(1862年)に8歳で叔母である瑞正文院日尊尼に師事して得度受戒した。明治時代になり多くの皇族還俗したときも仏門にとどまり、村雲門跡保存会、村雲婦人会を設立し寺院経営に尽力し、大正8年(1919年)には尼衆修道院を設立した。日本赤十字社京都支部篤志看護婦支会長としても活躍した。また、和歌や書にも堪能であった。