李若水
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李 若水(り じゃくすい、1093年 - 1127年)は、北宋の政治家。徽宗・欽宗に仕えた。字は清卿(せいきょう)。
略歴[編集]
曾祖父は李宏、祖父は李痒、父は李恂。子に李浩、李淳、李浚。孫に李楷、李札、李橒、李相。
1127年の靖康の変で徽宗と欽宗が金の太宗に敗れて捕虜となった際、同行した。この際の李若水の官位は吏部侍郎だった。
徽宗と欽宗は太宗の詔により、青枹という身分の低い者が着用する衣服に着替えさせられたが、これを見た李若水は2帝の衣服をいだいて慟哭し、金の将兵を犬と罵って侮辱したので激怒した金軍によって誅殺された。35歳没。
その壮烈な死に様を見た金軍の最高司令官・粘没喝は「遼が滅びたときは節に死した者が数多くいたが、宋(北宋)にはただひとり李侍郎あるのみだ」と賞賛したという。後に南宋が成立すると、その忠義を賞されて忠愍と諡された。