杉山 吉煕(すぎやま よしひろ、? - 天和元年(1684年)2月)は、江戸時代前期の弘前藩士。通称は八兵衛、勘左衛門。子に吉成[1]。
父は杉山吉成。石田三成の曽孫に当たる。
寛文12年(1672年)の父の死去により、家督を継承して津軽氏に仕える。新知侍組頭に任命された[1]。
天和元年(1684年)2月に死去し、子の吉成が跡を継いだ[1]。