杉山 吉成(すぎやま よしなり、? - 寛文12年3月30日(1672年4月27日))は、江戸時代前期の弘前藩士。通称は八兵衛。子に吉煕[1]。
石田三成の次男・石田重成の子。石田三成の孫に当たる。
陸奥国津軽藩主・津軽信義とは従兄弟に当たる。寛永10年(1633年)から津軽氏に仕え、栄進して最終的に1300石の知行を与えられ、さらに本参侍組頭になった[1]。
寛文10年(1672年)に死去し、子の吉煕が跡を継いだ。