机上の空論
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もしかして: 機場空論
机上の空論(きじょうのくうろん)とは、実際的でない論のこと。現実の要素の一部または大部分が欠落してしまったまま組み立てられた論のこと。また、立案されたものの実行に移されない計画のこと。もっとも、最後のものについては「実施しない方が間違っている。実施すれば立派に役に立つ」と主張されることがある。
概要[編集]
実務経験の不足、フィールドワークの欠如、現場の軽視、多面的な配慮の欠如、シミュレーション不足などの、ひとつあるいは複数が原因となってこのような空論を作り出す人がいる、ともされる。また、価値観の違いから、自分に反対する議論が机上の空論に見えることはありがちである(例:第二次世界大戦の末期の日本でのポツダム宣言受諾を唱える派と本土決戦を唱える派の対立。令和のCOVID-19対応について、乱発疲れで実効性が薄れても緊急事態宣言を遂行する政府とPCR検査をもっと推進すべきと主張する野党の対立)。
机上の空論の例[編集]
- 社会主義をはじめとする計画経済論
- 幕末の攘夷論(もっとも、司馬遼太郎のように、「開国論のような穏健にして常識的な議論ではとても明治維新などできなかった」と言っている者もいる)
- 朱子学に影響された日本の儒学者の間では、「いかなる理由があろうとも臣下が君主を倒すことは許されず、中国歴代の君主は東漢の光武帝を除いてみな主君殺しの大罪人」という議論が出た。この議論を推し進めると、当時の東アジアで起こった易姓革命は否定されて、日本しか正統な政権が存在しないことになり、現代に持ち込めば、世界中でクーデターを経ない正統な政権は日本のほか数ヶ国(しかもそれらの国が正統性を取り戻すのは不可能に近い)ということになるが、この空論は鎖国中で国外への思想流出が困難なこともあり現実上は無害であった。