最高戦争指導会議

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最高戦争指導会議(さいこうせんそうしどうかいぎ)とは、昭和19年(1944年8月5日小磯國昭内閣がそれまでの大本営政府連絡会議(だいほんえいせいふれんらくかいぎ)の名称を改めたもので、最高戦争指導者による会議のことである。

概要[編集]

この会議の通常の構成員は首相陸相海相外相参謀本部総長軍司令部総長などである。そのほか、参謀本部軍令部それぞれの次長、両作戦部長、陸海両省の次官、両軍務局長、内閣書記官長などが出席することになっていた。

小磯國昭内閣が倒れて鈴木貫太郎内閣が成立した後、鈴木内閣の外相・東郷茂徳は構成員のみの会議を提案し、それが受け入れられて昭和20年(1945年5月11日から実施されている。

しかし、これは単に名称を改めたに過ぎず、国務と統帥、陸軍と海軍の対立は全く解消されず、ほとんど意義をなさなかった。

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]