智慧
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智慧(ちえ/ちけい)とは、佛教語とされる。パーリ語からの音写として、「般若」とも表記される。
概要[編集]
「智」も「慧」も当用漢字には入っていないため、マスコミ的には「知恵」と表記しなければいけない、という縛りがある。
そのため、「智能」という表記はマスコミ的には許されず、「人工智能」は人工知能と表記しなければならない、という縛りがある。
人間生活との関わり・利用[編集]
いわゆる「人工知能」は、「智慧」というものの本質に迫ろうという試みである。
ルネ・デカルトが「コギト・エルゴ・スム」、すなわち「思考している私が存在している私が存在することは、わたしにとって自明である」と考えたあたりから広まったが、これが「コンピューター」の登場によってややこしい話になった。
自分自身にとって、「わたし」というクオリアが存在することはわたしにとって自明のことである。
しかし、自分以外の「他者(あなた)」が存在しているかどうかは確かめようがない。「だったらロボットや電子頭脳やゾンビはクオリアは持っているのかいないのか?」という話にはなる。