明和義民の碑
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明和義民の碑(めいわぎみんのひ)とは、岐阜県揖斐郡池田町宮地に存在する顕彰碑である。
概要[編集]
江戸時代中期の明和2年(1765年)、当地では豪雨による河川の氾濫、洪水が発生して土地は荒れた。にも関わらず、大垣藩は年貢を増徴したので、百姓は遂に切れて明和3年(1766年)1月24日に強訴に及んだ。その結果、大垣藩はお救い米として600石を放出したりするなど百姓の意見を聞き入れたが、首謀者の処置を厳しくして同年9月に要助・喜平次・新五郎・重吉の4名を現在の大垣市久瀬川町西塩田橋畔で処刑の上、家財没収、家族は藩から追放に処されたという。彼ら処刑された4名は義民として崇敬され、その行動は昭和の時代になっても崇められ、地元の老人会や近隣町村がそれを顕彰して昭和45年(1970年)に建立したという。