日本奥山保全・復元学会
日本奥山保全・復元学会(にほんおくやまほぜん・ふくげんがっかい)は、2010年2月27日に結成され[1]、2011年中に閉会された学術団体であった。英文名称は"Nihon Society for Preservation and Restoration of Okuyama"。 事務局は兵庫県西宮市分銅町(日本熊森協会内)に所在した。
学術団体の形式的要件は満たしていたが、後述の通り関係の深い日本熊森協会と主張を異にする役員等は含まれていなかった[2]。
2011年3月19日に予定されていた総会・第1回研究発表会は、東日本大震災により開催を延期とされ、2012年2月の時点でも開催の日時は未定となっていた。
設立後約2年近くを経過した時点で、研究成果が公にされていないまま2011年に閉会された学会ではない「学会」である。
2012年8月に日本熊森協会によって日本奥山学会が本学会とほぼ同様の趣旨に基づき設立された[3]。
閉会[編集]
2012年2月、研究成果が公になされないまま「当学会は、2011年に閉会しました。」との告知がなされた[4]。
公式サイトも閉鎖されていて、過去に提供されていた情報、公式Blogなどは閲覧できない[5]。
後述の通り公式サイトのURLは日本奥山学会に引継がれている。
日本熊森協会との関係[編集]
日本熊森協会の主要メンバーが発起人[6]から役員等になっており、事務局は同協会本部にある。
設立時は事務局により記者発表を行うなど活発な広報が実施された[7]にもかかわらず、当学会の活動成果の発表がなんらなされず閉会された。活動実績の公表がなく閉会したことから、学術団体の実質的な要件を満たしていないことが明らかになった。当団体はいわゆる日本熊森協会に密接に関連した学会ではない「学会」であったと結論付けざるをえない。
設立の趣意[編集]
公式サイトの(リンク切れ)設立趣意書によると、「奥山保全・復元」を学際的に研究する新領域のための情報交換、出版物の刊行などを目的とする。以下のような前提に基づく。
- 日本では、一定以上の奥地には立ち入らず、人跡未踏の森(自然の林)を残す伝統があった。日本は、この伝統によって自然と共生してきた国である。このようにして戦前まで残された奥地の森を「奥山」と呼ぶ。
- 戦後の開発や拡大造林により奥山は人工林に転換され、その後に林業不振により放置された人工林は、生物に乏しく土壌が流出し保水力もない「死の森」と化した(奥山の荒廃)。
- 上記の結果として、クマの人里出没、山の保水力低下による渇水と土砂災害が引き起こされている。
- クマは生息推定数とほぼ同じだけの頭数がここ数年の駆除で殺されており、絶滅寸前である。アンブレラ種たるクマの絶滅は「自然の森」の維持を不可能にする。
役員等[編集]
その他の役職等(理事・監事・事務局長・事務員)のいづれについても、日本熊森協会の関係者(役員、顧問、職員等)である[9]。
批判[編集]
設立の趣旨の用語及び主張は日本熊森協会のものと同一であり、研究者・専門家には必ずしも受けいれられていない。
- 「奥山」は「里山」と対比される概念として「全体として自然に対する人間の働きかけが小さく、相対的に自然性の高い地域」など、上記よりずっと広義に用いられることが多い[10]。
- 「自然林(天然林)」は「人工林」と対置される用語で、二次林も含まれる。上記の「自然の森」は「原生林」がほぼ当てはまる。
- 日本における原生林の破壊は、古代の社寺建立・船舶建造とともに歴史に記録され始めており、西日本では大部分が江戸期までに失われている[11][12]。さらに、クマと並ぶアンブレラ種であったオオカミの絶滅は戦前に遡るなど、戦後の森林政策に原因の全てを転嫁することには無理がある。
- 希少種・絶滅危惧種などが多く、森林生態系のアンブレラ種とされる猛禽類の繁殖には針葉樹林が必要とされるが、それらについては一切考慮されていない。
- 里山の利用低下に起因する里山の奥山化によるクマの生息域の拡大、これの伴うクマの生息数の増加については関係の深い日本熊森協会と同様に一切検討されていない。
- 現状におけるクマの生息数推定数は経年での傾向や農林業被害の増減を計るために用いられている。このことから、推定生息数のある時点の数だけをとらえて実際の捕殺数と比較することは意義が薄い。
生息地ジェネラリストであるクマの生息地が生息地スペシャリストである中小型獣に好ましい質であるかの保証ができない現状では、クマがアンブレラ種であるか議論の余地がある[13]。
活動及び成果[編集]
発起人会及び設立総会は開催された。
学問や研究の従事者らの研究成果を公開発表し、その科学的妥当性をオープンな場で検討論議する場の提供について、実施されなかった。
査読、研究発表会、講演会、学会誌、学術論文誌などの研究成果の発表の場を提供する業務や、研究者同士の交流などの役目も果たされなかった。
当団体の目的である「「奥山保全・復元」を学際的に研究する新領域のための情報交換、出版物の刊行などの成果公表」は行われなかった。
新団体の設立[編集]
2012年8月26日に日本奥山学会(森山まり子会長(日本熊森協会会長))が日本熊森協会によって本団体と同様の趣旨で設立された[3]。事務局は本団体と同様に日本熊森協会内に所在する。第1回研究発表会も開催された[14]。
日本熊森協会は新団体日本奥山学会と閉会された日本奥山保全・復元学会を同一団体としている[15]。
2013年1月に日本奥山学会の公式サイトが公開された[16]。会長の設立挨拶、趣意書[17]、学会員・論文の募集などが公表されている。趣意書によると日本学術会議協力学術研究団体への登録を目指すとされている。
会員(正会員:年会費6千円、賛助会員:年額一口1万円を一口以上)、ボランティア事務局員及び2013年8月25日に予定されている第2回研究発表会の発表論文や研究助成の募集を行っている[18]。
脚注[編集]
- ↑ 日付は(リンク切れ)日本奥山保全・復元学会定款による。 Archived 2011年9月12日, at the Wayback Machine.学会公式サイト・ Archived 2010年10月23日, at the Wayback Machine.学会公式blogによると2月27日に発起人会、4月10日に設立総会が開催された。
- ↑ 公式サイトの(リンク切れ)学会役員による。
- ↑ a b “守り育てよ「熊の森」 西宮で「日本奥山学会」設立”. MSN産経ニュースWEST (2012年9月15日). 2012年9月17日確認。
- ↑ “当学会は、2011年に閉会しました。”. 日本奥山保全・復元学会 (2012年). 2012年2月20日確認。
- ↑ (リンク切れ)“日本奥山保全・復元学会”. 日本奥山保全・復元学会 (2012年). 2012年2月20日確認。
- ↑ 公式サイトの(リンク切れ)学会発起人による。 学会公式blogの Archived 2011年9月15日, at the Wayback Machine.2010年4月10日 日本奥山保全・復元学会設立総会(2010年5月3日)には発起人は14名とあるが、2011年4月の時点で学会公式サイトには13名の氏名等が掲載されている。
- ↑ (リンク切れ)“2010年4月の記事”. 神戸大学 (2012年). 2012年3月7日確認。 産経新聞4月10日夕刊、朝日新聞・神戸新聞4月11日朝刊、読売新聞4月20日朝刊に掲載。
- ↑ “弁護士のご紹介”. あすなろ法律事務所. 2011年6月12日確認。
- ↑ (リンク切れ)学会公式サイト内学会役員による。
- ↑ 生物多様性国家戦略2010本文(PDF)など。
- ↑ ジャレド・ダイアモンド (楡井浩一 訳) 『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの』 草思社 2005年 ISBN 4794214642
- ↑ 石弘之 『火山噴火・動物虐殺・人口爆発 (歴史新書y)』 洋泉社 2010年 ISBN 486248543X
- ↑ 高槻成紀, クマは本当にアンブレラ種か?」『保全生態学研究』 14巻 2号 2009年 p.293-296, 日本生態学会, , テンプレート:Issn。
- ↑ 公式BlogくまもりNews (2012年9月17日). “奥山研究者の発掘と育成をめざした日本奥山学会が第1回研究発表会を持ちました”. 日本熊森協会. 2012年9月17日確認。
- ↑ 公式BlogくまもりNews (2012年10月18日). “ウィキペディア(Wikipedia)とは、何か。これが、ウィキペディア日本熊森協会ページの記述者の実態です。■膨大な記述のほとんどが、一度の取材にも来ず、当協会のドングリ運びに感情的に反対する、ひとりの匿名者「幹間臼」氏による、悪意に満ちた個人的見解や事実誤認記述のオンパレードとなっている”. 日本熊森協会. 2012年10月21日確認。
- ↑ “日本奥山学会”. 日本奥山学会 (2012年8月26日). 2013年1月7日確認。URLは日本奥山保全・復元学会のものと同一である。
- ↑ “日本奥山学会設立趣意書(PDF)”. 日本奥山学会 (2012年8月26日). 2013年1月7日確認。
- ↑ “募集”. 日本奥山学会 (2013年1月7日). 2013年2月4日確認。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- (リンク切れ)日本奥山保全・復元学会
- (リンク切れ)日本奥山保全・復元学会 公式blog
- 日本奥山学会