日本刀
日本刀(にほんとう、英:Japanese sword)とは、原義としては日本国で作刀される刀剣をいうが、日本の製鉄技術と低温鍛造技術によって独自の進化を遂げ、シリアのダマスカス刀やグルカ刀(クックリ)とともに、世界各地で憧れられている。宋時代の欧陽脩(おうようしゅう。1007~1072)の「日本刀歌」でも知られる。鎌倉時代以降の幕府制度以降、低温組合せ鍛造と熱処理によって、「切れる。折れない。曲がらない」という性質を備え、肌と刃文の美しさ、ゆるやかな反りを描く芸術性の高い姿は国内外から高く評価されている。
概要[編集]
本来は武具ではあるが、儀礼的な意味もある。そのため江戸時代においては、普段は「白鞘」に納めて保存することが多く、「拵」は体面をつくろうものであり、中身は竹刀であることも多かったらしい。だいいち重いし長いし当てたの当てなかったので悶着も起きかねないうえにそれなりに維持費もかかるので、おそらくは面倒臭かったらしく、普段使いの安い二本差をしていた人も多かったらしい。本田宗一郎さんがシビックを愛車にしていたようなものかもしれない。
日本刀の種類[編集]
直刀[編集]
反りがない日本刀のことを直刀と呼ぶ。一般的に日本刀とは刀に反りを描く「湾刀」というものだが、直刀の特徴はやはり「反りがない」事のみである。湾刀が誕生する600年ほど前の古墳時代に鋳物製造が中国から伝来して直刀が誕生したとき、日本でも国と国との争いが毎日のように起こったために日本独自の刀剣の登場は画期的だった。直刀は平安時代に入ると、戦闘において実用性の高い湾刀の登場により使用趣旨が薄れて作刀されなくなった。そもそも日本刀は刃文への焼き入れを行う事で自然と反りがつくものなので、わざわざ反りを入れない作りをする必要が無くなった事も湾刀移行の一つの理由だと推測できる。直刀はもっとも、拵が後世の日本刀と比較すると全く違うことがわかる。飛鳥時代ごろまでの直刀の柄頭には環状がついたものが大半である。上古刀時代から献上品や鑑賞品としての役割を持つことはここから推測できる。
太刀[編集]
太刀は、要するにサーベルの一種であり、刃を下にして吊る。
打刀と並んで一般的かつ大型な日本刀のひとつで、刃長が80cm前後の日本刀のことを指す。名前は切れ味の良さから断ち切ること、つまり「断ち」が変化して太刀になったと考えられている。博物館内での太刀の展示は、茎(なかご)の銘が見える様に刃を上にして展示している。前に述べた直刀が変化してやがて「湾刀」が考案されると、鎌倉時代頃には湾刀が太刀と呼ばれる様になった。太刀は騎馬戦での使用に向いており、南北朝時代ごろには太刀が日本の主力武器となって大量作刀された。そのため現存している日本刀のほとんどは太刀もしくは打刀である。
刃が厚く、打刀として用いるには長すぎるため、「摺上」といって打刀に改造されたものもある。「同田貫」が著名。
長巻[編集]
馬上刀であり、いわゆる薙刀のように長い柄がついている。いわゆる「青龍刀」の本来の形はこれである。
薙刀[編集]
「弁慶の七つ道具」のひとつではあるが、女性の防衛用の刀剣として独自の進化をした。接近戦を避けるために長い柄がついている。長巻に似ているが、刃が軽いために取り回しがよい。武術としては剣道とは違って「切り上げ」や「脛切り」がルールとして認められているため、たとえば幅一間半の廊下で薙刀を持った女性三人と向かい合って勝てる要素は、剣豪一人でもあまりない。
大太刀[編集]
大太刀は、最低でも90センチ以上の刃長がある大型の太刀のこと。野太刀とも呼ぶ。槍類(後の節に解説)を除く日本刀の中では最も長大である。元々は神社に奉献する為の日本刀であり、画像の大太刀も神社に奉納された大太刀である(後述)。しかし騎馬戦用の戦闘武器として室町時代ごろから作刀されるようになった。大太刀の使用方法は、背中に背負った大太刀の鞘から大太刀を引き抜くか、従者から大太刀を受け取る・鞘から引き抜くという方法が取られたという。廃刀令(後述)により現在では完全に作刀されなくなった。
小太刀[編集]
打刀[編集]
武具としての刀剣でもあり、儀礼刀でもある。
脇差[編集]
本来は儀礼刀であるが、「小太刀」として武芸にも組入れられている。
短刀[編集]
上州のやくざは二本差しを嫌い、二尺未満の「長ドス」を用いたという。二尺未満だと「道中差」として認められていたからである。
いわゆる「ドス」は一尺未満であり、「匕首(あいくち)」とも言われる。「九寸五分」の異名があり、秋刀魚やカマスの異称としても知られる。
槍[編集]
「短槍」「長槍」「十文字槍」「片鎌槍」など複数の形式がある。
このあたりは「宝蔵院流」「伊達政宗」「蜻蛉切」「服部半蔵」などを検索のうえ補遺されたい。
なお、「槍」と「鑓」といった表記の揺らぎがあるため、ページとしては立てづらい。「竹槍」はもちろん「槍」でいいのだが。ちなみに「水滸伝」の英傑の一人である彪子頭林冲は、八十万禁軍の槍棒の師範という設定である。
矛[編集]
「矛盾」「干戈を交える」という言葉があるため日本では知られてはいるが、日本刀としての現物は見たことがない。
剣[編集]
剣は、剣身の両側に刃を備えた刀剣であり、「諸刃の剣」としてよく知られ、日本刀の一種でもある。先端の突起部が効果を持つため、主に突き刺すことで威力を発揮する。古くは1世紀頃から実戦に用いたと神話にあるが、片側に刃があって実戦的な刀の登場により剣は戦いに用いられなくなり、神社仏閣への奉献品として扱われた。画像の「天叢雲剣」は草薙剣とも呼び、2世紀より熱田神宮に奉納されている日本で最も著名な剣である。
手首・顔面のほか心臓などを狙って致命傷を与えることもできるため、実戦的には強力な武器であり、「相手にするといやらしい」武器でもあるため、中国の王朝などでは護衛武官が身につけていた。日本の警察官が拳銃を所持しているのと同じような意味かもしれない。
歴史[編集]
〜平安時代前期(上古刀時代)[編集]
平安時代中期〜安土桃山時代(古刀時代)[編集]
江戸時代(新刀・新々刀時代)[編集]
明治時代〜現代(現代刀時代)[編集]
作刀[編集]
素材[編集]
著名な日本刀[編集]
多くあるため、編集者にお任せしたい。
酒呑童子の腕を斬り落としたという童子切、名刀として知られる備前長船・正宗、妖刀として有名な村正、赤城忠治などで知られる虎徹、「郷と幽霊見たことない」と云われる郷義弘(東博に二振収蔵されている)など、刀剣マニア以外にも知られるは多数ある。
著名な直刀[編集]
著名な太刀[編集]
著名な大太刀[編集]
著名な小太刀[編集]
著名な打刀[編集]
著名な短刀類[編集]
著名な槍類[編集]
著名な剣[編集]
著名な刀工[編集]
五箇伝[編集]
備前伝[編集]
大和伝[編集]
山城伝[編集]
美濃伝[編集]
相州伝[編集]
その他[編集]
剣術・剣道の刀剣[編集]
木刀[編集]
素材としては黒琵琶や「牛殺し」などが知られ、黒樫なども知られる。黒檀も用いられることもあるが、一般的には「白樫」と云われる樫である。
じつは殺傷能力がかなり高いため、占領軍が恐れて軽犯罪法で取締まられている。蜜柑を両断したりすることも可能な切れ味もあり、テニスボールを打返すくらいも平気でやる人もいる。遣い手が持つと拳銃より怖いが、逆にいうと「使えない奴でも人が殺せる」のが拳銃の怖いところである。
竹刀[編集]
袋竹刀[編集]
模造刀[編集]
関連項目[編集]
- 日本美術刀剣保存協会(日刀保)
- 玉鋼