新渡戸道郎
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新渡戸 道郎(にとべ みちろう、安政6年12月5日(1859年12月28日) - 明治17年(1884年)4月11日)は、日本の男性で陸奥国盛岡藩士。教育者である新渡戸稲造の次兄[1]。
経歴[編集]
明治4年(1871年)8月、弟に稲造と共に上京した。しかし病気がちだったことから、兄思いの稲造は自宅近くの神社で水垢離を取り健康回復を願ったが、間もなく郷里に帰った。明治15年(1882年)、菊池武夫の妹・澄子と結婚して蓮子という娘が生まれるも間もなく夭折し、自らも病気に苦しめられて、明治17年(1884年)に弟の稲造がアメリカ留学する直前に病死した。死後、妻の澄子はまだ若かったためもあるのか、両家で話し合われて菊池家に戻ることになった[1][2]。