斎藤清六

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斎藤清六(さいとう せいろく、1948年(昭和23年)6月15日 -)は日本コメディアン、俳優。本名は斎藤 精陸(読み同じ)。日本大学出身。

概要[編集]

実家は、東京北区の米穀店。このため、ビートたけしなど浅草芸人仲間から「米屋の清六」の渾名で呼ばれている。
萩本欽一に弟子入りし、いろいろやらかしている。初日で欽ちゃんの食べている寿司を勧められたと勘違いして全部食べてしまった。他には1万円札を渡されて「タバコを買ってこい」と言われたら1万円をタバコ代で使い切ったそうである。

歌は物凄い音痴で、明石家さんまが出てくる前は芸能界一の音痴だったとか。
一方で「ドレミファドン」では、ヒントの難しいセイロクマンとして活躍している。

プロレスが好きでプロレス会場でへび踊りをしていたそうである。

運動はからきしで『森田一義アワー 笑っていいとも!』で斎藤清六が新日本プロレストミ譲二とロイヤルズに弟子入りする企画ではヘマの連続でどうにもならなかった。それでも当時スクールに通っていたテニスだけは、見るに耐えられる出来だったという。

なお人のいい所もあり、大将の売れないチケットを全部手売りで売りさばいたとのエピソードもある。

欽ちゃんの番組では「村の愉快なアナウンサー」役がハマり人気が出る。

浅井企画から独立後は、2時間ドラマなどの出演が主てある。

CM[編集]