斎藤 斉(齋藤 齊、さいとう ひとし、1898年(明治31年)12月2日 - 1961年(昭和36年)1月23日)は、大正時代から昭和時代にかけての逓信技師、政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓は豊川。
実業家である豊川良平の5男。明治39年(1906年)、実子がなかった斎藤實の養子となり改姓する。養父の實が死去する前日まで義弟の有馬頼義と信州菅平でスキーを楽しんでいたという。その翌日、2.26事件で養父の實が殺害されたため、子爵の爵位を襲爵した。第一生命保険監査役などを歴任した[1][2]。
昭和36年(1961年)に62歳で死去。