文 虎(ぶん こ、生没年不詳)は、中国の三国時代の魏の武将。父は文欽。兄は文鴦。
255年に毌丘倹・文欽の乱が起こると父や兄と共に反乱に加わったが、活躍した記録はない[1]。敗戦後は父や兄と共に呉に亡命し、257年の諸葛誕の乱で諸葛誕の援軍として寿春城に入るが、父が諸葛誕と対立して殺されたため兄と共に司馬昭に降伏して関内侯に封じられた[1]。
以後の記録は無いが、291年の八王の乱の端緒を成す事件で兄とその三族が処刑されているため、文虎もこの時に処刑された可能性はある[1]。
『三国志演義』でも史実とほぼ同じである。