戸田徹
ナビゲーションに移動
検索に移動
戸田 徹(とだ とおる、1943年[1] - 1984年)は、新左翼活動家。「戸田徹」は党名[2]。本名は平井知之[3]。共産主義労働者党(共労党)のイデオローグ。のちに盟友の笠井潔らとともに「マルクス葬送派」を名乗った[4]。
経歴[編集]
大阪出身[5]。1961年大阪市立大学に入学。1962年日本共産党に入党するが、ソ連派として直ちに除名され、1963年民主主義学生同盟(民学同)の結成に参加。その後、民学同の流れを汲む共労党のイデオローグ・オルガナイザーとして活動し、1968年の激動の中でソ連派から毛沢東思想を支持する第三世界論へと方向転換を遂げた[4]。
1972年に共労党が三分裂し、左派の赤色戦線派に所属するが、1974年には解散した[6]。その後、盟友の笠井潔、戸田の方向転換に影響を与えたとされる長崎浩とともにマルクスから離れ、「秘教的革命論」を唱えた[7]。雑誌『第三文明』1979年12月号に掲載された座談会「マルクスを葬送する」(笠井潔・津村喬・長崎浩・戸田徹・小阪修平)をきっかけとして、笠井・長崎・小阪とともに「マルクス葬送派」と呼ばれる。この一派は五月革命の闘士からマルクス否定の立場に転じたフランスの新哲学派(ヌーヴォー・フィロゾーフ)としばしば類比される。
1984年に癌のため早逝した。晩年は神秘主義に傾斜していた[8]。没後、遺稿集が刊行された。
人物評[編集]
- 笠井潔は、共労党には武藤一羊、花崎皐平、栗原幸夫、白川真澄など「インテリ党員」が多かったが、理論家と言えるのはいいだももと戸田徹だけだと述べている[9]。
- 宮崎哲弥は、日本の「マルクス葬送派」について、「戸田がいちばんマシだったと思いますよ。あのなかでは。俺は少し影響を受けたな」と語っている[10]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『マルクス葬送』 五月社、1983年
- 『戸田徹遺稿集 彼方へ――霊の解放と革命の夢』 戸田徹遺稿集編纂委員会編、戸田徹遺稿集編纂委員会、1985年
編著[編集]
- 『三里塚 勝利と変革の思想』 四月社、1978年[11]
訳書[編集]
- 『毛沢東』 エドワルド・リウス文・イラスト、現代書館(For beginners シリーズ)、1981年
- 『資本主義』 ロバート・レカッチマン文、ボリン・バンルーンイラスト、長谷川健三郎共訳、現代書館(For beginners シリーズ)、1982年
脚注[編集]
- ↑ 戸田, 徹, 1943- - Web NDL Authorities (国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス)
- ↑ 笠井潔のツイート(2012年3月1日)
- ↑ CiNii 図書 - 彼方へ : 戸田徹遺稿集 : 霊の解放と革命の夢
- ↑ a b 絓秀実『革命的な、あまりに革命的な――「1968年の革命」史論』作品社、2003年、85頁
- ↑ 笠井潔のツイート(2012年2月28日)
- ↑ 笠井潔のツイート(2012年2月28日)
- ↑ 絓秀実『革命的な、あまりに革命的な――「1968年の革命」史論』作品社、2003年、87頁
- ↑ 笠井潔のツイート(2012年3月2日)
- ↑ 笠井潔のツイート(2012年3月14日)
- ↑ 絓秀実、高澤秀次、宮崎哲弥『ニッポンの知識人』ベストセラーズ、1999年、27頁
- ↑ 大金義昭『風のなかのアリア――戦後農村女性史』ドメス出版、2005年、452頁