憲宗 (唐)

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憲宗(けんそう、778年 - 820年[1])は、の第14代皇帝(在位:805年 - 820年[1])。姓名は李純(りじゅん)[1]

生涯[編集]

第13代皇帝・順宗の長男[1]。805年に皇太子になり、同年に即位した父帝が病気で国政が混乱したため、譲位されて即位した[1]。憲宗はこれまでの皇帝と違って積極的かつ剛毅果断で、安史の乱以来問題になっていた節度使の権力抑制と中央権力の再興を目標として活動した[1]

唐は祖父の徳宗の時に行なわれた税制改革で財力が蓄積されていたので[1]、憲宗はこの財力で禁軍を拡充強化して巧みに活用し、節度使を次々に抑えていった[2]。また、物価の安定や税負担の軽減など内政改革にも取り組み、一時的とはいえ唐を再建したので憲宗は「中興の英主」として讃えられる[2]

しかし晩年になると丹藥を服用して怒りっぽくなり、家臣の不安と恨みを買い、遂に820年に宦官により毒殺された[2]。享年43。跡を3男の李恆が穆宗として継ぐが、この憲宗の没後は皇帝権力は振るわず唐は衰退してゆく。

宗室[編集]

后妃[編集]

  • 懿安皇后
  • 孝明皇后

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脚注[編集]

  1. a b c d e f g 河出書房新社『中国歴代皇帝人物事典』、P161
  2. a b c 河出書房新社『中国歴代皇帝人物事典』、P162

参考文献[編集]