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感情労働
感情労働(かんじょうろうどう)とは、感情が労働内容の不可欠な要素であり、適切・不適切な感情が定められた「感情の抑制や緊張や忍耐などが絶対的に必要」である労働である。[1]
血液サラサラと同様に、間違った形で広まってしまった用語である。
概要[編集]
- 肉体労働、頭脳労働という二分化された分類においては、感情労働は頭脳労働の一種という扱いだった。
- 人間の感情に労働の負荷を大きく作用し、労働終了後も、達成感などが得られず、精神的な負担が大きいことが特徴である。
- 問題点として、感情労働に従事する者は、たとえ相手の理不尽な要求・主張や非常識な要求・主張であっても、自分の感情を押し殺し、常に礼儀正しくふるまい、相手の言い分をじっくり聴かなければならず、つまり相手に尊厳の無償の明け渡しを半強制的に行わなければならないということである。このようなことは接客業などにおいて発生しやすい。
- 作業習熟による労働効率の向上があまり期待されない点で、肉体労働、頭脳労働と異なる。
その他[編集]
これは1編集者の私見。(編集者:早朝の掃除屋さん)
欧米諸国や儒教的な思想においては、「労働は苦役である」という発想がある。これに対して、日本には仕事という考えかたがあり、「仕事は、畢竟“自分の仕事である”」(福田定義『仕事の哲学』による)、日本国憲法においても、「労働は義務であり権利である」と定められている。「あの人から仕事を取りあげたら死んじゃう」という人は世の中には多い。
ところが、「労働は苦役である」ということを頑(かたく)なに信じている人は、「遊んで暮らせる」ことに幻想を持っていることがあり、「労働は苦役ではなくて、これは自分の仕事である」という人が大嫌いである。
そのため、労苦を強いるという歪んだ心性の人々が求めるのが「感情労働」である。
「給料分の利益は上げているんだから、それで QOL 上げても正当だよね?」という思想に対しては、否定的である。「額に汗して」「靴底を売り減らして」「飲みたくもな酒を飲んで」「下げたくもない頭を下げて」ようやく取ってきた案件が筋悪で会社が傾いたりしたら、パソコンの前でキーボードを叩いているだけで、たまに見本市かなんかで大口の案件を引っ張ってきてそれが当たったりとか、ほぼ趣味で作ったツールをネットで配布したら「金は払うから、ユーザーサポートつきの製品にしてくれ」とかいったメールが会社に来たりしたら、そういう人物にとってはさぞかし気分は悪かろうと思う。
とはいえ製造に関わる人間としては、「製品は嘘をつかない。言い訳もしない」のだから“より、優れた製品”を出すことしか考えない。
それが気に障る人は、「肉体労働」や「頭脳労働」よりも より高い水準のものとしての感情労働を求める。つまり、苦しむということが労働における より高い価値を占めるというのが「感情労働」である。
「自分の苦労が充分に報われていない」という鬱憤があるため、家庭は荒んでいることも多く、会社の金を横領して会社を倒して「ざまぁみろ」と思う人物を何人も見てきたが、それは「給料分の仕事はしてるんだからいいじゃないか」という価値観を否定するという話ではある。
「神に祈るときにも、苦しげな顔をして、全身でその苦しさを表現しなければならない」とかいう話は、会衆に対するパフォーマンスでしかないから止めとけ、とナザレのイエスは言っていたように思うが、「私はクリスチャンではない」とそういう人は言うんだろうな。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ “感情労働とは? 従業員のストレスやメンタルヘルスケアに向き合う対策とは - Docomo Bussiness”. 2025年3月3日確認。