愛国社 (1875年-1880年)

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愛国社(あいこくしゃ)とは、明治時代前期に設立された全国的政治結社のことである。板垣退助により結成された。

概要[編集]

明治8年(1875年2月に板垣退助の呼びかけにより結成された自由民権運動派の全国的な政治結社である。当時の板垣退助は征韓論により明治政府を去って失脚していたが、明治9年(1876年3月参議として復帰したので、それを理由に愛国社は活動を停止する。明治10年(1877年)に西南戦争が起こった後、立志社により愛国社の再興が決定され、杉田定一らが全国遊説を行う。明治11年(1878年9月大阪で12県13社の代表が参加して再興大会が開催され、西南戦争までの武力反乱によるものではなく、言論と大衆参加による民権運動を求める契機となり、豪農や豪商を中心にしての政治結社が各地に結成され、明治12年(1879年)大会で決議された国会開設運動を担った。

明治13年(1880年3月の大会では国会開設を要求するおよそ10万人の署名が集まり、国会期成同盟を結成し、全国組織としての愛国社はこの時点で消滅し、立志社としての運動が続けられることになる。

愛国社の機関誌は愛国志林(あいこくしりん)という。明治13年(1880年3月に創刊され、8月に「愛国新誌」と改題される。立志社が中心で、植木枝盛永田一二らが編集・執筆する。基本的人権人民主権・抵抗権・革命権の主張など民権思想を訴え続けた。大阪のちに高知県などで週1回から月3回にかけて発行を続けたが、明治14年(1881年6月をもって終刊する。その後は高知新聞に合併された。