徳川次郎吉
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徳川 次郎吉(とくがわ じろきち、寛文7年5月2日(1667年6月23日) - 延宝7年10月18日(1679年11月21日))は、江戸時代前期の徳川氏の一族。
生涯[編集]
父は紀州藩の第2代藩主・徳川光貞で次男。兄に徳川綱教。弟に徳川頼職、そして江戸幕府第8代征夷大将軍の徳川吉宗がいる。紀州生まれらしいが、生母に関する記録は皆無であるため、恐らく母親の身分がかなり低かったのではないかと見られている[1]。
延宝7年(1679年)に13歳で早世した。まだ吉宗が生まれる前の死去であるため、史料ではこのため吉宗を3男と扱ったり、次兄を頼職とするものも多い。
脚注[編集]
- ↑ 『紀州藩主徳川吉宗』 吉川弘文庫。2016年。P14・P17・P19