御下(おした、天正12年(1584年) - ?)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての女性。島津義弘の末子で娘[1]。
島津義弘の娘で末子。母は実窓夫人。最初、島津氏の家臣・伊集院忠真の妻となる。しかし慶長7年(1602年)に忠真が兄の島津忠恒により討たれたため、島津宮之城家の島津忠元の妻となった[1]。