張特
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張 特(ちょう とく、生没年不詳)は、中国の三国時代の魏の武将。字は子産(しさん)[1]。
生涯[編集]
幽州涿郡の出身[1]。253年に呉の諸葛恪が合肥に攻めて来た際に牙門将軍として合肥を守っていたが、城内では兵士は半数以上が戦死し陥落寸前となる[1]。そこで張特は諸葛恪に使者を送り城を100日守れば降伏しても罪に問われないのでしばらくの猶予を欲しい、と伝え、諸葛恪はこれを受け入れて攻撃を中止した[1]。ところがその間に張特は城壁を修復して徹底抗戦の構えを見せ、諸葛恪は騙された事に激怒して再び攻撃を開始したが張特の抗戦の前に遂に退却した[1]。この功績により司馬師から雑号将軍に任命されて安豊郡の太守に任命された[1]。
『三国志演義』でも史実とほぼ同じである。