張方 (西晋)

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張 方(ちょう ほう、? - 306年)は、中国西晋武将

生涯[編集]

八王の乱における河間王司馬顒の部下で、司馬顒が司馬穎と組んで司馬乂を攻撃した際に暗躍し、捕縛した司馬乂を凄惨に炙り殺したという。典型的なサディストだったようである。

その後、司馬顒の下から自立して西晋の実力者となり、洛陽を支配して略奪をほしいままにし、洛陽を荒廃させた。司馬穎が司馬越に敗れて恵帝を連れて洛陽に逃れると彼らを自分の庇護下に置き、司馬穎・恵帝・司馬熾を擁して長安に強行遷都した。この際に恵帝の皇后だった羊献容を廃し、皇太弟であった司馬穎も廃して司馬熾を新たな皇太弟とした。

306年、司馬越や長安から逃れた司馬穎など東方の諸侯により君側の奸として挙兵されると、かつての主君だった司馬顒は巻き込んで殺されることを恐れて畢垣と組んで張方に刺客を送り、張方はその刺客によって暗殺された。

張方の首級は司馬顒によって司馬越の下に送られ、その代償として司馬顒は和睦を求めるも拒否され、結局司馬顒も同年のうちに司馬越の弟・司馬模によって殺害された。