弘前八幡宮

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弘前八幡宮(ひろさきはちまんぐう)とは、青森県弘前市八幡町1-1-1にある八幡宮である。戦前は旧県社であった。祭神は誉田別尊・息長帯比売命・比売大神。弘前八幡宮本殿弘前八幡宮唐門は重要文化財である。

概要[編集]

熊野奥照神社の北側にある八幡宮である。もともとは津軽郡八幡村に鎮座していた。

安土桃山時代に当地を支配した戦国武将津軽為信はこの八幡宮を深く崇敬しており、自らの勝利をこの祭神の加護によるものと考え、天正18年(1590年)に社殿が火災に遭った際、再建して自らの居城である大浦城の鬼門の鎮護神とした。

為信の死後、跡を継いだ息子の津軽信枚は、新たな居城として弘前城を築城するが、この際に父と同じように大浦城に移した祭神を今度は弘前城の鬼門鎮護のため、現在の地に移した上で弘前の総鎮守に定めた。さらに真言宗最勝院をこの神社の別当寺に定め、津軽全郡にあった110余の社の社人を統轄させた。

明治維新後、明治政府によって神仏分離令が出されると、この八幡宮は津軽氏に手厚い庇護を受けていたのが災いし、華麗だとして堂宇の大半が破壊され、最勝院も大円寺跡の現在地に移された。この破壊を免れたのは、現在に残る本殿と唐門であり、これらは津軽信枚が慶長17年(1612年)に造営したものと伝えられている。本殿は銅板葺きの三間社流造。唐門は入母屋造、前後の軒に唐破風を配しており、屋根はこけら葺きの四脚門である。これらは安土桃山時代の桃山風造りの華麗な建物であり、国の重要文化財に指定されている。

アクセス[編集]