庭田 重貞(にわた しげさだ、天正5年(1577年) - 元和6年(1620年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての公家。正室は北条氏政の娘。名は重定とも書かれる[1]。
父は庭田重通(重具)[1]。天正16年(1588年)に少将、慶長17年(1612年)に参議に任官している[1]。最終的には権中納言にまで昇った[1]。
正室は北条氏政の娘で、恐らくは氏政の生前に結婚したと見られている[1]。史料などでは「庭田少将」「庭田宰相」とある。
元和6年(1620年)に44歳で死去した[1]。