広田タケ
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広田 タケ(ひろた たけ、嘉永2年(1849年) - 昭和3年(1928年))は、日本の女性。外交官・内閣総理大臣であった広田弘毅の母[1]。廣田 タケとも記録にはある。
略歴[編集]
父は高野彌平。生家は後に夫となる広田徳平が養子入りする石材店近くの素麺屋だった[1]。
明治10年(1877年)、徳平の養父母の媒酌で徳平と結婚し、明治11年(1878年)に長男の弘毅を産んだ。他に広田はつ、広田弘道、広田徳右衛門らの子女を産んでいる。
昭和3年(1928年)、肩の怪我がもとで病床に倒れる。この際に長男の弘毅の帰任を待ちわびたというが、それがかなわず絶望して自ら絶食死したといわれる[2][1]。79歳没。