市町村

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
市区町村から転送)
ナビゲーションに移動 検索に移動

市町村(しちょうそん)とは、日本の基礎自治体で、地方自治体の中で下層に位置する単位である。

概要[編集]

日本には、「都道府県」と「市町村」の2段階の地方自治構成となっているが、都道府県が上位(広範囲)、市町村が下位(狭範囲)にあたり、より地域に密着した行政を行う役割を担っている。なお、基礎自治体といっても海外と比較すると面積が広め、人口が多めなのも特徴である。
日本の国土は、海外の非法人地域のように自治体に属さない人口密集地はなく、伊豆諸島の一部の無人島や境界未確定地を除き、必ず市町村に属す。

種類[編集]

[編集]

人口の多い基礎自治体につけられる行政単位。人口5万人から10万人、面積150km2から300km2(端から端まで10-20km相当)の範囲に入る市が多いが、もっと大規模・小規模な市も多い。

明治の頃、県庁所在地級の大都市に限って「市」という単位がつけられた。そのため、市は県に1個か2個が普通で、市の無い県もあった。その後、急速な産業発展や軍事拠点化により県有数の大都市となって市に昇格したり(呉市、横須賀市など)、大都市のベッドタウン化して人口が増えたのに独立を維持できて市に昇格した町(豊中市、武蔵野市など)も出てきたが、市は基本的に大都市のみ名乗ることができた。

昭和の大インフレ合併により、状況は一変。急行が停車するレベルの中規模クラスの都市が、周辺農村を合併して軒並み市に昇格した。従来の市も隣接する農村を次々に合併したため[注釈 1]、この頃から市内だからといって都市部とは限らない現象が全国各地で発生した。

平成の大インフレ合併で、どんな田舎でも大規模合併して人口3万人に達したところが「市」になった[注釈 2]、現在は実質「市町村合併を大規模に行った地域」という意味でしか無い。
既に、面積ベースでも、日本の半分以上が市になっており、「市内」であるというのは都会であることを全く意味しない。

そんな中でも、人口5万人超えで合併によらず、単独での市を実現じた自治体もあり、中には滝沢市のように村から跳躍して市になったところもある。

特別区[編集]

東京独自。人口20万人から50万人、面積15km2から30km2(端から端まで4-8km相当)の範囲に入る区が多いが、もっと大規模・小規模な区も多い。

東京府東京市が合併して東京都となった時に、東京市の区が市町村と同格になったことに起因している。

[編集]

人口の中ぐらいの基礎自治体につけられる行政単位。都道府県で条件は異なるが、人口8000人から15000人、面積80km2から150km2(端から端まで8-15km相当)の範囲に入る町が多い。もっと大規模・小規模な町も多い。

江戸時代に、商工業中心の集落につけられた単位。多くは人口数百人から数千人規模で、大都市の場合さらに細かく複数の町に分かれていた。

明治の大合併で、細かく分かれていた町同士が合併し、特に大きな都市は「市」に昇格した。なお、2000人を超える人口の町は合併が行われない所も多かった。

昭和の大インフレ合併で、ほとんどの町も周辺町村と合併し、中規模以上の多くの町が市に昇格した。一方で、合併により農村部のほとんどが村から町に昇格し、「町」が田舎代表の様な感じになっていった。

平成の大インフレ合併で、市への昇格はさらに進んだ。現在「町」は、大規模な合併を行わなかったか(大阪府田尻町など)、それとも合併しても市になれない田舎かのどちらかであることが多い。

[編集]

人口の少ない基礎自治体につけられる行政単位。人口2000人から4000人、面積50km2から100km2(端から端まで8-15km相当)の範囲に入る村が多いが、もっと大規模・小規模な村も多い。

江戸時代に、農漁業中心の集落につけられた単位。多くは人口数百人規模で、現在の「大字」に相当する規模であった。

ほとんどの村が明治の大合併の対象になり、人口3000人規模、小学校を1校持てるぐらいの大きさになった。

昭和の大インフレ合併で、人口8000人規模、中学校を1校持てるぐらいの大きさになった所が多い。これによりほとんどの村が「町」に昇格した他、他の市や町に吸収された村も多い。

平成の大インフレ合併も昭和と同様。現在「村」は、大規模な合併を行わなかった(富山県舟橋村など)所が基本的に多く、財政が豊かな村が多いのも特徴の一つである(茨城県東海村、愛知県飛島村が代表的)。

その他[編集]

地方自治法では、市町村は同格とされるが、市になるには総務省の審査が必要で、村から町になるには都道府県の条例の拘束を受ける[注釈 3]。昭和戦中までは、これらは市制、町制といった勅令に基づくものだったため、今でも言葉として使われている。

注釈[編集]

  1. 横浜市神戸市の様に、昭和の大合併より一足早く大規模合併を行った市もある。なお神戸市は、市独自に農産地を持つことが目的の一つだったともいわれている。
  2. 養父市の様に、人口3万人に達しなかったのに市になったところもある。
  3. 市から町になる人口要件は、各都道府県で異なり、最少は富山、岡山、兵庫各県の3000人、最多は岩手県などの1万人である。これに、中心街地で人口の占める割合や官公署の存在などが要件に加わることが多い。