嵯峨一郎

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嵯峨 一郎(さが いちろう、1943年 - )は、労働社会学者。熊本学園大学名誉教授。

経歴・人物[編集]

横浜市生まれ。1966年東京大学経済学部卒業。1972年東京大学大学院経済学研究科博士課程中退。1979年東京大学教養学部助手。1984年熊本商科大学(1994年より熊本学園大学)商学部教授。2013年定年退職。学校法人熊本学園常務理事、熊本学園大学名誉教授[1]

東大入学時は理Ⅱ類(医学部コース)に進学したが、経済学部に転学部し、宇野派鈴木鴻一郎に師事した。新左翼系学生運動に熱心に取り組み、東大闘争では安田講堂に最後まで籠城した[2]。経済人類学者の栗本慎一郎と親交があり、栗本は嵯峨が勤務していた熊本商科大学で講演した際、「このような経歴をもった人物をよく採用したものだといい、その意味で本学はものすごく寛容な大学だと述べた」という[2]

左翼的な立場から労働運動、労使関係を研究したが、のちに西部邁佐伯啓思の立場に近い新保守的な思想へと転向した[2]。1985年に『他者との出会い』(田畑書店)を上梓し、自らの思想転換について記した[2]。西部が主宰する雑誌『発言者』に論考を発表。2002年に『日本型経営の擁護』(石風社)を上梓し、文字通り「日本型経営」を擁護した[2]

著書[編集]

  • 『日産争議・1953――転換期の証言』(熊谷徳一共著、五月社、1983年)
  • 『企業と労働組合――日産自動車労使論』(田畑書店、1984年)
  • 『「他者」との出会い――企業社会の病理を超えて』(田畑書店、1985年)
  • 『日本型経営の擁護』(石風社、2002年)
  • 『はじめて学ぶ西洋思想』(村松茂美、小泉尚樹、長友敬一共編、ミネルヴァ書房[思想家たちとの対話]、2005年)
  • 『はじめて学ぶ社会学』(土井文博、萩原修子共編、ミネルヴァ書房[思想家たちとの対話]、2007年)
  • 『はじめて学ぶ経営学――人物との対話』(中野裕治、貞松茂、勝部伸夫共編、ミネルヴァ書房、2007年)

分担執筆[編集]

  • 佐藤浩一編『戦後日本労働運動史(上・下)』(社会評論社、1976・1977年)[2]
  • 労使関係調査会編『転換期における労使関係の実態』(東京大学出版会[東京大學社會科學研究所研究叢書]、1981年)[2]
  • 「錆色の路」編集委員会編『錆色の路――国労熊本・40年の証言』(「錆色の路」編集委員会、1991年)[2]
  • 中村廣治編著『市場経済の思想像』(九州大学出版会、1994年)[3]

出典[編集]

  1. 共生めざす日本型経営 熊本県中小企業家同友会
  2. a b c d e f g h 出家健治「嵯峨一郎先生の退職記念号に寄せて」『熊本学園商学論集』18巻2号、2014年3月
  3. 嵯峨一郎 石風社