山本健一 (マツダ)

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山本 健一(やまもと けんいち、大正11年(1922年9月16日 - 平成29年(2017年12月20日)は、元旧海軍出身の技術者将校で、戦後東洋工業(現・マツダ)に入社し、開発リーダーとして世界で初めてロータリーエンジンの実用化に成功した自動車技術者。のち同社代表取締役社長、最高顧問などを務めた。

来歴[編集]

熊本県出身。東京帝国大学(現在の東大)卒業後、昭和21年(1946年)に東洋工業(現在のマツダ)に入社する。小型で高出力のロータリーエンジンの開発を主導し、昭和42年(1967年)に世界で初めて量産化に成功した。社名がマツダとなった昭和59年(1984年)から昭和62年(1987年)まで社長を務めた。

平成29年(2017年)12月20日午後1時27分、老衰により神奈川県施設で死去。95歳没。

外部リンク[編集]