山口講堂
(山口明倫館から転送)
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山口講堂(やまぐちこうどう)とは、周防国山口(現・山口県山口市)に所在した学問所である。
1813年、長州藩の儒役に任じられた上田鳳陽が、中河原の御茶屋の前に設置した学問所である。山口近辺在住の諸士の教育を開始した。1845年同所は山口講習堂(山口講堂)と改称し、藩明倫館、三田尻越氏塾に次ぐ学問所となった。翌年に亀山東麓に移転。
1863年には、山口政事堂開設に伴い、藩校に吸収。山口明倫館の名称となった。
山口大学との関係[編集]
山口講堂は、明治維新後、県立山口中学校→旧官立山口高等中学校(旧旧山高)→官立山口高等商業学校と変遷。戦後諸学校と統合したため、山口大学の淵源に当たる。
2014年に山口大学創基200周年記念事業として記念碑が建立されている[1]。
県立山口高校との関連[編集]
山口講堂は、明治維新後、県立山口中学校となり、1880年(明治13年)には高等中学科を設けたが、旧官立山口高等中学校(旧旧山高)設置に際し、高等中学科を移管し、尋常科を県立山口尋常中学校として分離したため、県立山口高校の淵源にも当たる。
跡地[編集]
亀山東麓移転後は、1973年(昭和48年)の山口大経済学部の吉田キャンパスへの移転まで後身学校に使われた。現在は山口県立美術館が建っている。