審 栄(しん えい、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。審配の甥[1]。
冀州魏郡陰安県の出身[1]。審配の兄の子で袁尚に仕えて東門校尉を務める[1]。204年2月に鄴が曹操に包囲された際、叔父と共に守備を務めた[1]。しかし8月、曹操に寝返って夜半に城門を開いて兵を引き入れ、審配は生け捕りにされた[1]。この裏切りを曹操から聞いた審配は「役立たずの小僧の分際で」と罵ったという[1]。
『三国志演義』(架空)では辛毗の友人とされており、辛毗の家族が叔父に皆殺しにされたため同情して曹操に内通している。