宮川睦男

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宮川 睦男(みやがわ むつお、1916年11月3日 - 1979年3月17日)は、労働運動家。元・三池炭鉱労働組合(三池労組)組合長、日本社会党熊本県本部書記長。

経歴[編集]

長野県上高井郡高山村生まれ。高等小学校卒業後、農業に従事。1936年住友金属桜島伸銅所に就職。1941年三井三池鉱業所四山坑の炭鉱夫となる。1946年三池炭鉱労働組合(三池労組)結成と同時に総務部長[1]。1951年6月社会主義協会同人。1953年5月三池労組組合長(書記長・河野昌幸)となり[2]、「英雄なき113日の闘い」、1959~1960年の三池争議を指導[1]。1963年8月争議指導責任で懲戒解雇[2]。1965年労働大学大牟田分校校長[3]。1971年8月定年で組合長を退任。のち日本社会党熊本県本部書記長[1]。1979年3月17日、肺がんで死去、62歳[4]向坂逸郎が弔辞を読んだ[2]

出典[編集]

  1. a b c 高木郁朗「宮川睦男」、朝日新聞社編『現代人物事典』朝日新聞社、1977年、1358頁
  2. a b c 石河康国向坂逸郎にとっての三池 (シンポジウム 三池争議と向坂逸郎)PDF」『大原社会問題研究所雑誌』第631号、2011年5月
  3. 山川均の色紙に学ぶ 労働大学
  4. 鎌田慧『鎌田慧の記録 3 少数派の声』岩波書店、1991年

関連項目[編集]

関連文献[編集]